最近、友人と「幸せってなんだろうね〜」という話題になったので、今回は「幸せ」について考えてみた。
* * *
今までに私が「幸せ」を感じたときのことを思い出してみると、どうもいくつかパターンがあるようだ。
例えば
「会社でいやなことがあった後に観た映画『チャーリーズエンジェル』が爽快で『幸せ〜!」』とか
「『納期に間に合わないかもしれない!』と切羽詰った状態で徹夜して、無事納品が済んで布団に倒れこみ『幸せ〜♪』」とか
「あまり得意ではないネタにも関わらず、人前で喋らなければならない状態になり、憂鬱と緊張状態から『いっそ大地震が来て会場がつぶれてしまえばいいのに』と小学生なみの発想しかできない状態ながらも、なんとか喋り終えた後に一杯のビールを飲み干し『ア゛ーーッ、シアワセーー!!』」
などなど
「Aした後のB」というような状況になっている時の場合が一番多いような気がする。
Aというのは苦痛や緊張状態などあまり喜ばしくない心理状態であり、その後にBの「幸せ〜」がやってくるのであるが、このB自体に大した意味はない。
「映画を観た」「布団で寝た」「ビールを飲んだ」なんて
通常の精神状態の時なら別になんてことない行動なのに、これにAが加わるだけで大量のドーパミンを放出するらしい。
Aというのは普通に考えれば不幸せな状態であり、なるべく避けたいものであるのに、それがあるからこそ幸せを感じることができるとは・・・
そう考えると、「幸せ」の定義のひとつは「落差」なのかもしれない。
* * *
それで思い出すのが10年ほど前のゴールデンウィークに、夫と八丈島に船で行った時のことだ。
夜、東京の竹芝桟橋を出発し、船中で一泊して八丈島に着くというもので、子供の時以来の船旅にウキウキしていた。
子供の頃に乗ったフェリーには確か、レストランや売店があったような気がするのでわざわざ食料を買う必用もないかな?と思ったが、乗船時間が遅いこともあり一応コンビ二でおにぎりを買い船に乗り込んだ。
ゴールデンウィークなので私も多少の混雑は覚悟していた。
・・・が!
それは想像を絶した混雑であった。
客室はあっという間に人で埋まり、座っている自分のすぐ横に他人の背中があるくらいの混雑なのだ。
座っていてさえこの状態だ。ましてや寝ることなんてできない。
そう思った私は、寝ることができる場所を探しに行くことにした。
しかし、客室の外も状況は変わらなかった。
廊下も人がゴロゴロ転がっていて、踏まないように歩くのがやっとの状況だし、トイレのすぐ前にすら人が寝る場所を陣取っている状況なのだ。
階段にも寝袋に入った人が、さながら階段を上る巨大な芋虫のように転がっており、甲板にも人があふれている・・・
子供の頃の楽しい船旅のイメージは崩れ去った。
これは貨物船・・・いや、奴隷船だ!
仕方なく元の客室に戻ると、寝仕度を終えた人々が床にひしめきあっている。
足が入る程度のわずかの隙間を見つけては、人を飛び越え飛び越え、やっとのことで夫の元にたどりついたものの、なにせ狭いので腰を降ろすのもひと苦労だった。
回りでギュウギュウに寝ている人の群れを見下ろしながら
「どうしよう、寝るスペースない・・このままだと、一晩中、まんじりともせずにここで座るはめになるのか・・・」
もはや遠慮や他人への配慮などしている場合ではない。
人と人の間にぐいぐい体をねじ込み、夫とひしと抱き合うような姿勢でわずかなスペースになんとか寝る場所を確保した。背中には他人の体温を感じつつ・・・
極限状態はこうやって人の心を失わせるのかもしれない。
翌朝、甲板で寝不足のゲンナリした顔を海風にさらしながら、昨日買ったおにぎりをモグモグと食べた。
「二度と船なんか乗るまい」と心に誓いながら。
* * *
しかし、それから数年後、仙台に引っ越すと、仙台港から船で北海道まで行けることがわかった。
例の苦い思い出がちらっと蘇ったものの行ってみることにした。
しかし、今回は前回と違ってすでに戦闘態勢はできている。
夕食と朝食、2食分の食料をしっかり買い込み、何より「もう遠慮なんかしないわ!しっかり寝るスペースは確保するわよ!」と乗る前から鼻息荒く人を押しのける覚悟で船に乗り込んだのだ。
しかし船に乗ると、制服に身を包んだ来た男女がにこやかに出迎え、船内の天井にはシャンデリアがきらめいている。
おお!ここはタイタニック?
奴隷船に乗るつもりでいた私にはすべてがまぶしかった。
嬉しい誤算でとまどい、さっき買い込んだ2食分の食糧も放り出してさっそく船内レストランへ。
クラシック音楽の流れる広いレストランで、窓の外に揺れる港の光を眺めながらワインをひとくち。
「シ・ア・ワ・セーー!!」
ワインとともに「幸せ」が全身に回って痺れた。
その後もミニシアターで映画を見たり、ラウンジでピアノの生演奏を楽しみ、と優雅な気分のままで北海道への船旅を満喫することできたのだ。
・・・しかし、だ。
平常時だったらそれほど優雅な気分に浸れただろうか?
奴隷船から思いもかけず豪華客船に移されたような気分だった私は目がくらんでいたのかもしれない。
豪華料理がうず高く積まれたような高級レストランだって、よく考えればいわゆるバイキングだし、暗闇に光きらめくように見えたラウンジだって、ちょっと昭和な香りがただよってたからミラーボールだったのかもしれないし、ミニシアターは「ミニ」だし。
これが「レストランはフルコースで、デッキのベンチでお昼寝」の豪華客船クルーズ的なものを期待していたら、逆に失望していたかもしれない。
ここまで幸せ気分を満喫できたのは、あの奴隷船体験のせいであるのはまちがいない。
同じフェリーでの船旅でも、その前に奴隷船の辛酸をなめていれば幸せ感は10倍にもなるし、豪華客船クルーズを体験していればマイナス10倍にもなる。
幸せを感じる否かは実に相対的なものらしい。
* * *
これらのことから「幸せの極意」を考えるに
『幸せの極意・1』は「苦労すること。または不幸を味わうこと」
『幸せの極意・2』は「期待しないこと」
といえるかもしれない。
いいんだろうか、こんな暗い結論で・・・
* * *
(ちなみに上記、仙台〜北海道フェリー状況は数年前のものです。
去年リニューアルしたみたいなので今はもっときれいかも)
2006年06月27日
2006年06月10日
初体験物語・2<まつげエクステ>
「初体験」の2番目は「まつげエクステ」だ。
「まつげエクステ」というのは、自分のまつげに人工まつげをくっつけてまつげを増やすという美容術である。
まつげエクステの相場を知るため、ホットペッパーを見ると、だいたい2コースに分かれているらしい。
ひとつは「片目15本づつ、両目で合計30本」の少本数のタイプ(「ポイント」だの「プチ」だのよばれていて5000〜7000円が相場)
もうひとつは「フル」や「本数無制限」と呼ばれていて、まつげ全体を増やすらしいタイプ(10000〜25000円が相場)のどちらか選ぶというのが、まつげエクステ界の常識らしい。
今回はお試しということで、少本数タイプ(両目30本/5250円)を選択してみた。
* * *
その店はマンションの一室にあった。
簡易ベッドに案内され寝ていると、店長とおぼしき男性が私の枕もとに座った。
そのままあお向けになっていると、視界の中に、ピンセットにつままれたまつげが一本近づいて来た。それが私のまつげに触れて少し時間がたつと、また次の一本が運ばれてくる。そして、また次の一本。
そんな動作が繰り返されている。
その様子は何かに似ている・・・
・・・思い出した。田植えだ。
小学生の頃、田植えの体験学習ということで、渡された苗を一本一本田んぼに植えていったことがある。あれだ。
すっかり田んぼになった気分でいると、受付で電話が鳴った。
「あ、はい・・・一本100円で追加はしてますけど・・・・
・・・すぐに言っていただければよかったんですけど・・
はい、すいません・・・すいません・・・ちょっとお待ちください。」
電話応対していた女性は別室に行きひそひそと別のスタッフと話始めた。
おそらく内容はクレームだろう。
エクステをしたのだが、とれてしまったので、タダで補修しろと言っていると思われる。
そこで、枕もとの男性にどのくらいもつのか尋ねて見た。
すると「そうですね〜一ヶ月弱くらいですね〜」と答えにくそうに答えた。
5250円で一ヶ月弱ね〜。
まあ、あまり費用対効果がいいとは思えないけど、一時(いっとき)だけでもフサフサの豊作まつげをバサバサさせる体験ができればいいか・・・
そうこうしてるうちに30分ほどでまつげエクステ完了。
「どうですか?」
鏡を見せられた。
う〜む・・・豊作どころか、干ばつにあえぐムギ畑のようだ。
自分の短いまつげの間からひょろひょろと人工まつげが顔をのぞかせている。
ボリューム感はないし、不自然だ。
店の人によると「フル」だったらこの3倍はボリュームあると言うのだが、それで一ヶ月もたずに1〜2万とは私的に費用対効果が悪すぎる。
今後リピートしようとは思わなかったが、一ヶ月弱のまつげエクステ生活は楽しもうと思った。
* * *
翌朝、めざめると妙に地味〜な顔が鏡に映っている。
ノーメイクが地味なのはいつものことだが、今日はいつも以上。
しかもなぜか懐かしさすら覚える。
不審に思ってコンタクトをつけ、クリアになった視界で再び鏡をのぞきこんで気付いた。
「ひょえーー!まぶたが一重(ひとえ)になってる!!」
それは高校時代までの懐かしい顔だった。
私は昔、一重まぶただったのだが、コンタクトをするようになってから二重まぶたになっていたのである。
「お久しぶり!高校時代のわ・た・し♪」
・・・あ〜、ちっとも嬉しくない!
別に二重が良くて、一重が悪いというわけではない。一重できれいな目の人はたくさんいる。
私などは高校時代、一重まぶたにアイデンティティを見出してすらいたほどだ。
しかし、二重まぶたになってからはあっさり宗旨変え。
「やっぱり二重まぶたの方が目がぱっちりしてかわいいじゃない♪」
頑なに自分のアイデンティティにこだわっていた私が、世の中と折り合いをつけるのが上手になったのは、単に大人になったからだけではなく、二重まぶたになったことも原因のひとつかもしれない。
「二重まぶたのぱっちりお目目の方がかわいい」という通俗的な価値観に転向してしまった私は、高校時代の私からすれば「ノンポリに堕落した日和見主義者め!」とアジられていたことだろう。
まあ、まぶたごときで大げさかもしれないが、とにかく、昨日まで二重だったのが急に一重になるのは衝撃である。
試しに爪でまぶたを折り込み昨日までの二重まぶたの再現を試みた。
しかし、どうやってもなにか不自然だし。さらには昨日までの目の形すら思い出せない。
「昨日までどんな目だったっけ・・・?」
まるで何かの魔法がとけてしまったようだ。
箱をあけたらおじいさん・・・というか
シンデレラの馬車はかぼちゃだった・・・というか
まんじゅうと思って食べていたものは、たぬきが作った泥だんごだった・・というか。
とにかくそんな気分だ。
「あ〜〜どうしよう、これから、アイプチ生活!?最悪、二重まぶたの整形手術か!?」(注:「アイプチ」とは一時的に二重まぶたにするための化粧品)
どんどん暗い考えが頭をよぎっていたところではたと気付いた。
「あ、まつげエクステのせいだ」
人工まつげがくっついているため、重さでまつげが下がり、ついでにまぶたも下がって一重になってしまっていたのだった。
昨日の田植えは思わぬ副作用をもたらしていた。
<実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな>
・・・なんて言ってる場合ではない!垂れ下がったのはまぶただ!
そこで、ビューラーでまつげをあげ、マスカラを塗ったら、昨日までの目が徐々に復活。
再び、世間と折り合いをつけて生きられるようになった。
* * *
・・・それにしてもめんどくさい。
化粧を落とす時、なるべくまつげは触らないように気をつけているにもかかわらず、人工まつげは取れる。
取れてしまった一本のまつげを指に乗せ「これが100円ね〜」と思いながらも捨てるしかない。
結局、一週間後、右目の人工まつげはすっかり取れてしまった。
どこが「一ヶ月弱」だ!費用対効果の悪さにも程がある。
これならつけまつげの方がよっぽと手軽で経済的だ。
もうまつげエクステなんか二度としないと心に誓った。
「まつげエクステ」というのは、自分のまつげに人工まつげをくっつけてまつげを増やすという美容術である。
まつげエクステの相場を知るため、ホットペッパーを見ると、だいたい2コースに分かれているらしい。
ひとつは「片目15本づつ、両目で合計30本」の少本数のタイプ(「ポイント」だの「プチ」だのよばれていて5000〜7000円が相場)
もうひとつは「フル」や「本数無制限」と呼ばれていて、まつげ全体を増やすらしいタイプ(10000〜25000円が相場)のどちらか選ぶというのが、まつげエクステ界の常識らしい。
今回はお試しということで、少本数タイプ(両目30本/5250円)を選択してみた。
* * *
その店はマンションの一室にあった。
簡易ベッドに案内され寝ていると、店長とおぼしき男性が私の枕もとに座った。
そのままあお向けになっていると、視界の中に、ピンセットにつままれたまつげが一本近づいて来た。それが私のまつげに触れて少し時間がたつと、また次の一本が運ばれてくる。そして、また次の一本。
そんな動作が繰り返されている。
その様子は何かに似ている・・・
・・・思い出した。田植えだ。
小学生の頃、田植えの体験学習ということで、渡された苗を一本一本田んぼに植えていったことがある。あれだ。
すっかり田んぼになった気分でいると、受付で電話が鳴った。
「あ、はい・・・一本100円で追加はしてますけど・・・・
・・・すぐに言っていただければよかったんですけど・・
はい、すいません・・・すいません・・・ちょっとお待ちください。」
電話応対していた女性は別室に行きひそひそと別のスタッフと話始めた。
おそらく内容はクレームだろう。
エクステをしたのだが、とれてしまったので、タダで補修しろと言っていると思われる。
そこで、枕もとの男性にどのくらいもつのか尋ねて見た。
すると「そうですね〜一ヶ月弱くらいですね〜」と答えにくそうに答えた。
5250円で一ヶ月弱ね〜。
まあ、あまり費用対効果がいいとは思えないけど、一時(いっとき)だけでもフサフサの豊作まつげをバサバサさせる体験ができればいいか・・・
そうこうしてるうちに30分ほどでまつげエクステ完了。
「どうですか?」
鏡を見せられた。
う〜む・・・豊作どころか、干ばつにあえぐムギ畑のようだ。
自分の短いまつげの間からひょろひょろと人工まつげが顔をのぞかせている。
ボリューム感はないし、不自然だ。
店の人によると「フル」だったらこの3倍はボリュームあると言うのだが、それで一ヶ月もたずに1〜2万とは私的に費用対効果が悪すぎる。
今後リピートしようとは思わなかったが、一ヶ月弱のまつげエクステ生活は楽しもうと思った。
* * *
翌朝、めざめると妙に地味〜な顔が鏡に映っている。
ノーメイクが地味なのはいつものことだが、今日はいつも以上。
しかもなぜか懐かしさすら覚える。
不審に思ってコンタクトをつけ、クリアになった視界で再び鏡をのぞきこんで気付いた。
「ひょえーー!まぶたが一重(ひとえ)になってる!!」
それは高校時代までの懐かしい顔だった。
私は昔、一重まぶただったのだが、コンタクトをするようになってから二重まぶたになっていたのである。
「お久しぶり!高校時代のわ・た・し♪」
・・・あ〜、ちっとも嬉しくない!
別に二重が良くて、一重が悪いというわけではない。一重できれいな目の人はたくさんいる。
私などは高校時代、一重まぶたにアイデンティティを見出してすらいたほどだ。
しかし、二重まぶたになってからはあっさり宗旨変え。
「やっぱり二重まぶたの方が目がぱっちりしてかわいいじゃない♪」
頑なに自分のアイデンティティにこだわっていた私が、世の中と折り合いをつけるのが上手になったのは、単に大人になったからだけではなく、二重まぶたになったことも原因のひとつかもしれない。
「二重まぶたのぱっちりお目目の方がかわいい」という通俗的な価値観に転向してしまった私は、高校時代の私からすれば「ノンポリに堕落した日和見主義者め!」とアジられていたことだろう。
まあ、まぶたごときで大げさかもしれないが、とにかく、昨日まで二重だったのが急に一重になるのは衝撃である。
試しに爪でまぶたを折り込み昨日までの二重まぶたの再現を試みた。
しかし、どうやってもなにか不自然だし。さらには昨日までの目の形すら思い出せない。
「昨日までどんな目だったっけ・・・?」
まるで何かの魔法がとけてしまったようだ。
箱をあけたらおじいさん・・・というか
シンデレラの馬車はかぼちゃだった・・・というか
まんじゅうと思って食べていたものは、たぬきが作った泥だんごだった・・というか。
とにかくそんな気分だ。
「あ〜〜どうしよう、これから、アイプチ生活!?最悪、二重まぶたの整形手術か!?」(注:「アイプチ」とは一時的に二重まぶたにするための化粧品)
どんどん暗い考えが頭をよぎっていたところではたと気付いた。
「あ、まつげエクステのせいだ」
人工まつげがくっついているため、重さでまつげが下がり、ついでにまぶたも下がって一重になってしまっていたのだった。
昨日の田植えは思わぬ副作用をもたらしていた。
<実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな>
・・・なんて言ってる場合ではない!垂れ下がったのはまぶただ!
そこで、ビューラーでまつげをあげ、マスカラを塗ったら、昨日までの目が徐々に復活。
再び、世間と折り合いをつけて生きられるようになった。
* * *
・・・それにしてもめんどくさい。
化粧を落とす時、なるべくまつげは触らないように気をつけているにもかかわらず、人工まつげは取れる。
取れてしまった一本のまつげを指に乗せ「これが100円ね〜」と思いながらも捨てるしかない。
結局、一週間後、右目の人工まつげはすっかり取れてしまった。
どこが「一ヶ月弱」だ!費用対効果の悪さにも程がある。
これならつけまつげの方がよっぽと手軽で経済的だ。
もうまつげエクステなんか二度としないと心に誓った。
2006年06月05日
初体験物語・1 <耳かき>
ブログを書くのもずいぶん久しぶりだが、この間、何もしていなかったわけではない。ふたつの<初体験>を経験していた。
ひとつは「耳かき」
最初に「耳かき専門店」の存在を知った時には「こんなのが商売になるんだ!」と驚いたものだが、確かに「耳かき」という行為はいくつかの可能性を秘めていることに気付いた。
その可能性とは、ひとつに<神秘的である>ということ。
耳の中は自分では見えないので、痛くない部分を探しつつ、手探りで耳掻きするのが一般的だと思うが、では耳の穴の奥の方はいったいどうなっているんだろう? もしや、取りきれない耳垢がごっそりあるのでは・・・というような恐怖を抱いたことはないだろうか?
そういえば、そんな恐怖心につけこんだ商品が、10年ほど前に流行ったことがあった。
もう名前は忘れてしまったのが、それは、たばこのような筒状のものを耳の穴に差し込み、その先に火をつけると、筒からなにやら茶色い物体がニュルニュルでてきて、「これが、あなたの耳の中に溜まっていた耳垢です」というようなものだ。
まあ、ずいぶん昔の話だし、私も興味本位で一回しかやったことはなかったので、これが正確かどうかはわからないが、私の記憶の中ではこんな感じのものだ。
それはいかにも嘘くさかったので、あっという間に廃れてしまったものの、それでも一時期流行ったのは事実だ。
ある種、都市伝説のように「耳の奥に取りきれない耳垢がごっそり・・・」という恐怖心を多くの人が抱いているからにほかならないだろう。
「可能性・2」は<愛を感じる>ということ。
自分以外の人に耳かきしてもらうといえば、まっさきに思い出すのは母親だろう。
他にも、彼女や奥さんなんていうのもあると思うが、いずれにせよ、この行為には愛と信頼関係が必要だ。
このような行為が絶えて久しい方にとっては「せめて形だけでも愛を」と思う可能性は充分にある。
「可能性・3」は<エロティックである>
耳が快感を感じる箇所であるのはよく知れられていることであるが、さらに体の中を他人に見せる。しかも、快感と不安が伴う点など、ある意味エロティックであるといってもいいだろう。
ビデオやパソコンがこれのおかげで普及したとも言われているように、耳かきも表向きは「耳をきれいにしたい。癒されたい」という目的でありつつ、裏欲求として快感を得たいがために行く可能性は充分ある。
* * *
そんなわけで、私はそれらの可能性を検証すべく、耳かき専門店「みみくりん」に行ってみた。
雑居ビルの中にあるそこは、こぎれいな歯医者さんのようで、受付カウンターと待合用のソファがあり。ソファには年配の女性が一人座っている。
住所などを書かされていると、ほどなくして名前が呼ばれた。
奥の施術室は、6畳ほどのすっきりした部屋で、入り口に背を向けた安楽チェアが2台ある。その2台の間にはつい立があるので奥の様子はよく見えないが、どうやら施術中のお客さんがいるらしい。
手前の安楽チェアに座ると、目の前は壁になっていて、その壁にテレビのようなものがかかっている。
マスクをしたお姉さんが「痛かったら言ってください」と言いながら、左の耳に耳かき棒(?)を差し込んだ。
他人に耳の中を触られるのは久しぶりで、くすぐったいような怖いような妙な気分だ。
すると、目の前のテレビになにやら映像が映った。
これはイヤースコープになっている耳かき棒が映し出した耳の中の映像らしく、オレンジ色のトンネル状になっていて、画面中肉っぽい色になっているところは、NHKの「人体スペシャル」みたいだ。
「おお!いよいよ<とりきれない耳垢がごっそり・・・>の神秘のベールが白日のもとに!!」と期待が膨らむ。
イヤースコープは耳の壁をそろりそろりと掻きながらと奥へ進んでいく。
といっても、その壁はいたってきれいなもので、何もないけどとりあえず掻いてみてるといった雰囲気だ。
でも、でも・・もっと奥に進めばきっと恐ろしいものが潜んでいるはず!!!
・・・と思ったところで、左の耳終了。
あれ?
右の耳も同様で、特に何も発見できず・・・
私はリラックスコース(20分/2000円)を選択していたので、その後、耳ツボと耳マッサージで20分はあっというまに終った。
* * *
う〜む、まあ気持ちよかったといえば気持ちよかったが、私としては「是非またやりたい!」というほどのものではなかったかな。自分でやってる耳掃除で充分きれいになってると確認もできたし。
とはいえ、隣でやっていた男性は「気持ちよかったですよ〜」と耳かきのお姉さんに告げていたし、むしろ男性にとっては女性に耳かきされることが気持ちいいのかも。
「最近、耳かきしてもらってないな〜」という寂しい男性は、健全に気持ちよくなれる「耳かき」を体験してみてもいいかもしれない。
【みみくりん】http://www.mimikurin.com/index.html
* * *
(長くなったので「初体験2」は次回に)
* * *
●デスクトップカレンダー 6月使ってね!
毎号更新、パピヨン渾身デザインのデスクトップカレンダー6月有りマス!
http://www.cicada.jp/index.html
(トップページ右下の方です)
ひとつは「耳かき」
最初に「耳かき専門店」の存在を知った時には「こんなのが商売になるんだ!」と驚いたものだが、確かに「耳かき」という行為はいくつかの可能性を秘めていることに気付いた。
その可能性とは、ひとつに<神秘的である>ということ。
耳の中は自分では見えないので、痛くない部分を探しつつ、手探りで耳掻きするのが一般的だと思うが、では耳の穴の奥の方はいったいどうなっているんだろう? もしや、取りきれない耳垢がごっそりあるのでは・・・というような恐怖を抱いたことはないだろうか?
そういえば、そんな恐怖心につけこんだ商品が、10年ほど前に流行ったことがあった。
もう名前は忘れてしまったのが、それは、たばこのような筒状のものを耳の穴に差し込み、その先に火をつけると、筒からなにやら茶色い物体がニュルニュルでてきて、「これが、あなたの耳の中に溜まっていた耳垢です」というようなものだ。
まあ、ずいぶん昔の話だし、私も興味本位で一回しかやったことはなかったので、これが正確かどうかはわからないが、私の記憶の中ではこんな感じのものだ。
それはいかにも嘘くさかったので、あっという間に廃れてしまったものの、それでも一時期流行ったのは事実だ。
ある種、都市伝説のように「耳の奥に取りきれない耳垢がごっそり・・・」という恐怖心を多くの人が抱いているからにほかならないだろう。
「可能性・2」は<愛を感じる>ということ。
自分以外の人に耳かきしてもらうといえば、まっさきに思い出すのは母親だろう。
他にも、彼女や奥さんなんていうのもあると思うが、いずれにせよ、この行為には愛と信頼関係が必要だ。
このような行為が絶えて久しい方にとっては「せめて形だけでも愛を」と思う可能性は充分にある。
「可能性・3」は<エロティックである>
耳が快感を感じる箇所であるのはよく知れられていることであるが、さらに体の中を他人に見せる。しかも、快感と不安が伴う点など、ある意味エロティックであるといってもいいだろう。
ビデオやパソコンがこれのおかげで普及したとも言われているように、耳かきも表向きは「耳をきれいにしたい。癒されたい」という目的でありつつ、裏欲求として快感を得たいがために行く可能性は充分ある。
* * *
そんなわけで、私はそれらの可能性を検証すべく、耳かき専門店「みみくりん」に行ってみた。
雑居ビルの中にあるそこは、こぎれいな歯医者さんのようで、受付カウンターと待合用のソファがあり。ソファには年配の女性が一人座っている。
住所などを書かされていると、ほどなくして名前が呼ばれた。
奥の施術室は、6畳ほどのすっきりした部屋で、入り口に背を向けた安楽チェアが2台ある。その2台の間にはつい立があるので奥の様子はよく見えないが、どうやら施術中のお客さんがいるらしい。
手前の安楽チェアに座ると、目の前は壁になっていて、その壁にテレビのようなものがかかっている。
マスクをしたお姉さんが「痛かったら言ってください」と言いながら、左の耳に耳かき棒(?)を差し込んだ。
他人に耳の中を触られるのは久しぶりで、くすぐったいような怖いような妙な気分だ。
すると、目の前のテレビになにやら映像が映った。
これはイヤースコープになっている耳かき棒が映し出した耳の中の映像らしく、オレンジ色のトンネル状になっていて、画面中肉っぽい色になっているところは、NHKの「人体スペシャル」みたいだ。
「おお!いよいよ<とりきれない耳垢がごっそり・・・>の神秘のベールが白日のもとに!!」と期待が膨らむ。
イヤースコープは耳の壁をそろりそろりと掻きながらと奥へ進んでいく。
といっても、その壁はいたってきれいなもので、何もないけどとりあえず掻いてみてるといった雰囲気だ。
でも、でも・・もっと奥に進めばきっと恐ろしいものが潜んでいるはず!!!
・・・と思ったところで、左の耳終了。
あれ?
右の耳も同様で、特に何も発見できず・・・
私はリラックスコース(20分/2000円)を選択していたので、その後、耳ツボと耳マッサージで20分はあっというまに終った。
* * *
う〜む、まあ気持ちよかったといえば気持ちよかったが、私としては「是非またやりたい!」というほどのものではなかったかな。自分でやってる耳掃除で充分きれいになってると確認もできたし。
とはいえ、隣でやっていた男性は「気持ちよかったですよ〜」と耳かきのお姉さんに告げていたし、むしろ男性にとっては女性に耳かきされることが気持ちいいのかも。
「最近、耳かきしてもらってないな〜」という寂しい男性は、健全に気持ちよくなれる「耳かき」を体験してみてもいいかもしれない。
【みみくりん】http://www.mimikurin.com/index.html
* * *
(長くなったので「初体験2」は次回に)
* * *
●デスクトップカレンダー 6月使ってね!
毎号更新、パピヨン渾身デザインのデスクトップカレンダー6月有りマス!
http://www.cicada.jp/index.html
(トップページ右下の方です)
2006年04月18日
メガネ美人への道
メガネブーム。
それは私にとって定期的に訪れるものだ。
人生最初に訪れたそれは、中学時代に流行った「Dr.スランプ」アラレちゃんの黒縁メガネだ。
しかし、目が悪くなかった私には買ってもらえるはずもなく、その時は憧れのアイテムであった。
そして高校時代には、「ダテメガネ」という度の入ってないメガネが世の中にあるということを知り、
早速買ってみたのだが、目が悪くないのにメガネをかけるという行為がめんどくさくなり、いつのまにかお蔵入りに。
しかし、高校卒業時には本当に目が悪くなってしまったので、いよいよ本物のメガネを買うことになった。黒縁のめがねだった。
私はここで初めて自分はメガネが似合わない事に気付いた。
どうもメガネに目頭部分がひっぱられ、「目付きの悪い暗い人」になってしまうのだ。
これならむしろかけない方がいい。
その後、メガネをコンタクトに変え、メガネへの憧れはすっかりなくなっていたはずだったのだが、
数年後、再び私の中でメガネ熱が再燃した。
それは、あるおしゃれな雑貨屋さんで働いている女性たちの多くがメガネをかけ、それが雰囲気のあるおしゃれ感を演出しているようで、私も真似したくなったのだ。
そこで、メガネの上にはフレームなしで下のみにフレームがついている、少し個性的なデザインのメガネを買ってみたのだが、夫に「妖怪・逆さメガネ」と大不評で、またしても私のメガネ熱は寂しく鎮火したのであった。
* * *
実際、メガネをおしゃれにかけるというのは難しい。
一歩間違うと「地味で暗い人」に転ぶ可能性が高いため、メガネをかけるときにはそれ相応の覚悟が必要だ。
自分の目指したいメガネ美人への方向性によって戦略を考えなければいけない。
そこでタイプごとの戦略を考えてみた。
[タイプA:さわやかメガネ美人]
かわいいタイプの女性がやると効果的。
洋服、髪型も個性的すぎず、かつ今ドキな流行感と軽さは必要。
成功すれば、華やかさの中にも知的な雰囲気を醸し出すことができ、男性受けも狙えると思うのだが、失敗すると「地味でモテないOL」に転ぶ。
成功例→真鍋かをり
http://manabekawori.cocolog-nifty.com/blog/2004/07/tommy_february6.html
[タイプB:スタイリッシュメガネ美人]
美人な女性がやると効果的。
洋服、髪型、メイクともスタイリッシュにして、メガネをアクセサリーのひとつととらえトータルコーディネートが必要。
失敗すると「ちぐはぐで変な人」に転ぶ。
成功例.1→松雪泰子
http://www.seed.co.jp/products/glasses/vividmoon.html
成功例.2→アンジェラ・アキ
http://www.angela-aki.com/
[タイプC:ポップなメガネ美人]
10〜20代前半の女性に有効。顔立ちも特に選ばず、カジュアルな服装でOKだが全体的に今ドキなおしゃれ感は必須。適当なカジュアルだと「地味でモテない女子」に転ぶ。
成功例→Tommy February
http://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/Tommyfebruary6/
(注:このサイトは音が出ます)
[タイプD:セクシー女教師]
顔がきれいでスタイルの良い20代女性しか許されない。
この先天的な条件が備わってないと「厳しい古参女教師」(通称「オールドミス」)にしか見えない。
成功例→倖田來未「Butterfly」プロモーションビデオで扮した女教師
(参考サイトなし。)
[タイプC:めがねっ娘]
10代のみ許される。そしてメガネは野暮ったい方が望ましい。
しかし、これも「顔がかわいくて、スタイルがいい」という先天的条件が必須。
この条件をクリアしてないと、「地味なおたく女子」確実。
成功例→時東あみ
http://www.tokitoami.com/p/
* * *
そんなこんなで今まで「メガネが似合わない」と充分認識していたはずなのに、上記の「目指すタイプ別メガネ攻略法」を考えてしまったおかげで、「今度こそいけるかも!」と思ってしまったのだ。
それで今回は「タイプBのスタイリッシュをベースにCのカジュアルをミックス」といった線を狙ってみた。
トータルコーディネ―トをしてメガネをかけ、完成したはずの自分の姿を鏡で見た時に、一瞬、「大助花子」の花子の幻影を見た気もしたのだが、「気のせい、気のせい」とその幻影を振り払って某セミナーに行くことにした。
(私が見た幻影↓http://www.fandango.co.jp/talent_prf/action/TalentProfileDetailSearchAction?unitId=10157&talentId=0)
しかし、それは幻影ではなかった。
確かに花子だったのだ。
その後の飲み会では知り合いに「かけないほうがいい」「年増の女教師みたいだ」とさんざんな言われよう。どうやら「タイプD」の「オールドミス」に転んでいたらしい。
いや、それならまだいい。
「オールドミス」や「大助花子の花子」ならまだよかった。
・・・私はもうこれ以上、これについて語りたくない。
真実を知りたい人は次のブログを読んで欲しい・・・
→「笑う豚の生活」
http://ameblo.jp/warau-buta/day-20060410.html
それは私にとって定期的に訪れるものだ。
人生最初に訪れたそれは、中学時代に流行った「Dr.スランプ」アラレちゃんの黒縁メガネだ。
しかし、目が悪くなかった私には買ってもらえるはずもなく、その時は憧れのアイテムであった。
そして高校時代には、「ダテメガネ」という度の入ってないメガネが世の中にあるということを知り、
早速買ってみたのだが、目が悪くないのにメガネをかけるという行為がめんどくさくなり、いつのまにかお蔵入りに。
しかし、高校卒業時には本当に目が悪くなってしまったので、いよいよ本物のメガネを買うことになった。黒縁のめがねだった。
私はここで初めて自分はメガネが似合わない事に気付いた。
どうもメガネに目頭部分がひっぱられ、「目付きの悪い暗い人」になってしまうのだ。
これならむしろかけない方がいい。
その後、メガネをコンタクトに変え、メガネへの憧れはすっかりなくなっていたはずだったのだが、
数年後、再び私の中でメガネ熱が再燃した。
それは、あるおしゃれな雑貨屋さんで働いている女性たちの多くがメガネをかけ、それが雰囲気のあるおしゃれ感を演出しているようで、私も真似したくなったのだ。
そこで、メガネの上にはフレームなしで下のみにフレームがついている、少し個性的なデザインのメガネを買ってみたのだが、夫に「妖怪・逆さメガネ」と大不評で、またしても私のメガネ熱は寂しく鎮火したのであった。
* * *
実際、メガネをおしゃれにかけるというのは難しい。
一歩間違うと「地味で暗い人」に転ぶ可能性が高いため、メガネをかけるときにはそれ相応の覚悟が必要だ。
自分の目指したいメガネ美人への方向性によって戦略を考えなければいけない。
そこでタイプごとの戦略を考えてみた。
[タイプA:さわやかメガネ美人]
かわいいタイプの女性がやると効果的。
洋服、髪型も個性的すぎず、かつ今ドキな流行感と軽さは必要。
成功すれば、華やかさの中にも知的な雰囲気を醸し出すことができ、男性受けも狙えると思うのだが、失敗すると「地味でモテないOL」に転ぶ。
成功例→真鍋かをり
http://manabekawori.cocolog-nifty.com/blog/2004/07/tommy_february6.html
[タイプB:スタイリッシュメガネ美人]
美人な女性がやると効果的。
洋服、髪型、メイクともスタイリッシュにして、メガネをアクセサリーのひとつととらえトータルコーディネートが必要。
失敗すると「ちぐはぐで変な人」に転ぶ。
成功例.1→松雪泰子
http://www.seed.co.jp/products/glasses/vividmoon.html
成功例.2→アンジェラ・アキ
http://www.angela-aki.com/
[タイプC:ポップなメガネ美人]
10〜20代前半の女性に有効。顔立ちも特に選ばず、カジュアルな服装でOKだが全体的に今ドキなおしゃれ感は必須。適当なカジュアルだと「地味でモテない女子」に転ぶ。
成功例→Tommy February
http://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/Tommyfebruary6/
(注:このサイトは音が出ます)
[タイプD:セクシー女教師]
顔がきれいでスタイルの良い20代女性しか許されない。
この先天的な条件が備わってないと「厳しい古参女教師」(通称「オールドミス」)にしか見えない。
成功例→倖田來未「Butterfly」プロモーションビデオで扮した女教師
(参考サイトなし。)
[タイプC:めがねっ娘]
10代のみ許される。そしてメガネは野暮ったい方が望ましい。
しかし、これも「顔がかわいくて、スタイルがいい」という先天的条件が必須。
この条件をクリアしてないと、「地味なおたく女子」確実。
成功例→時東あみ
http://www.tokitoami.com/p/
* * *
そんなこんなで今まで「メガネが似合わない」と充分認識していたはずなのに、上記の「目指すタイプ別メガネ攻略法」を考えてしまったおかげで、「今度こそいけるかも!」と思ってしまったのだ。
それで今回は「タイプBのスタイリッシュをベースにCのカジュアルをミックス」といった線を狙ってみた。
トータルコーディネ―トをしてメガネをかけ、完成したはずの自分の姿を鏡で見た時に、一瞬、「大助花子」の花子の幻影を見た気もしたのだが、「気のせい、気のせい」とその幻影を振り払って某セミナーに行くことにした。
(私が見た幻影↓http://www.fandango.co.jp/talent_prf/action/TalentProfileDetailSearchAction?unitId=10157&talentId=0)
しかし、それは幻影ではなかった。
確かに花子だったのだ。
その後の飲み会では知り合いに「かけないほうがいい」「年増の女教師みたいだ」とさんざんな言われよう。どうやら「タイプD」の「オールドミス」に転んでいたらしい。
いや、それならまだいい。
「オールドミス」や「大助花子の花子」ならまだよかった。
・・・私はもうこれ以上、これについて語りたくない。
真実を知りたい人は次のブログを読んで欲しい・・・
→「笑う豚の生活」
http://ameblo.jp/warau-buta/day-20060410.html
2006年04月06日
顔出さなきゃいいのに
先日のお客様からのメールには続きがあって、
「いま『人は見た目が9割』っていう本が売れてるじゃないですか、
情報量としてはほんと濃いと思うのですよね。たとえばブログだけ読んでいてもどんな人かまったく想像できないですし。
きっとマイナスな面よりも、あっこんなきれいな人が薦めるんだからいいものなんじゃないかなあ、質もよいのでわ、という説得力が生まれそうです。 とどのつまり、TVCMと同じですけど。 」
と書いてあった。
まさにその通りだと思う。
商品イメージにふさわしい顔が薦めると、説得力が増すのはテレビコマーシャルと同じだ。
私もそれは意識しているので、ほんとうは美しいモデルでも使いたいところなのだが、弱小個人商店としてはそうもいかないのでやむなく自分をモデルにせざるをえない。
それで、自分撮りというナルシスティックな作業をしなければならないわけだが、それは数十枚撮って一枚使えるか使えないかくらいの結構大変な作業なのだ。
上記のタイトル写真だって、そんな数十枚の中から選びぬかれた一枚である。
照明マジックによるアラの飛び具合、ほどよいボケ具合等「これなら店のイメージを壊さないだろう」という渾身の一枚なのだ。
しかし、そのせいか私の知り合いからは「え?あの写真自分だったの?」と聞かれる始末。
まあ、狙いは成功と言えば成功なのだが、複雑な気分だ。
顔出しにはこんな狙いと苦労が隠されている。
* * *
逆に、「顔出さなきゃいいのにな〜」と思う場合もある。
それは、主に作家関係だ。
というのも、先日、芥川賞を受賞した本の広告を見たのだが、そこには、受賞した女性作家がシャツにジーンズ系の格好で、階段かなにかに座ってラフなポーズをつけている写真が大きく載っていた。
このようなの写真はプロのモデルがやればさらりとかっこよく決まるのだろう。
しかし、その写真は痛かった。
おそらく出版社から言われたとおりの格好とポーズだったのだろうが、写真を撮られることには素人であろう彼女からは、ものすごくムリな感じが伝わってきて痛々しかった。
まあ、その本は読んでないのでなんともいえないが、恐らく、作品と先程の写真との間には違和感があるに違いない。
彼女にかぎらず、作家は顔を出すことによって作品世界を壊してしまうことが多いから「顔出さなきゃいいのに」と思う。
どうしても必要であれば、昔の文豪のように、「夏目漱石と言えば頬杖!」「芥川龍之介といえば顎に手!」「正岡子規といえば横顔!」のように、その肖像写真自体が作品にでもなるような渾身の一枚しか使わないくらいの気概を持って欲しいと思うのだがどうだろうか。
* * *
【本日のBGM】SMORGUS 「QUESTIONARY」
友人からのお薦め。こういうゴリゴリしたのも好きです。
「いま『人は見た目が9割』っていう本が売れてるじゃないですか、
情報量としてはほんと濃いと思うのですよね。たとえばブログだけ読んでいてもどんな人かまったく想像できないですし。
きっとマイナスな面よりも、あっこんなきれいな人が薦めるんだからいいものなんじゃないかなあ、質もよいのでわ、という説得力が生まれそうです。 とどのつまり、TVCMと同じですけど。 」
と書いてあった。
まさにその通りだと思う。
商品イメージにふさわしい顔が薦めると、説得力が増すのはテレビコマーシャルと同じだ。
私もそれは意識しているので、ほんとうは美しいモデルでも使いたいところなのだが、弱小個人商店としてはそうもいかないのでやむなく自分をモデルにせざるをえない。
それで、自分撮りというナルシスティックな作業をしなければならないわけだが、それは数十枚撮って一枚使えるか使えないかくらいの結構大変な作業なのだ。
上記のタイトル写真だって、そんな数十枚の中から選びぬかれた一枚である。
照明マジックによるアラの飛び具合、ほどよいボケ具合等「これなら店のイメージを壊さないだろう」という渾身の一枚なのだ。
しかし、そのせいか私の知り合いからは「え?あの写真自分だったの?」と聞かれる始末。
まあ、狙いは成功と言えば成功なのだが、複雑な気分だ。
顔出しにはこんな狙いと苦労が隠されている。
* * *
逆に、「顔出さなきゃいいのにな〜」と思う場合もある。
それは、主に作家関係だ。
というのも、先日、芥川賞を受賞した本の広告を見たのだが、そこには、受賞した女性作家がシャツにジーンズ系の格好で、階段かなにかに座ってラフなポーズをつけている写真が大きく載っていた。
このようなの写真はプロのモデルがやればさらりとかっこよく決まるのだろう。
しかし、その写真は痛かった。
おそらく出版社から言われたとおりの格好とポーズだったのだろうが、写真を撮られることには素人であろう彼女からは、ものすごくムリな感じが伝わってきて痛々しかった。
まあ、その本は読んでないのでなんともいえないが、恐らく、作品と先程の写真との間には違和感があるに違いない。
彼女にかぎらず、作家は顔を出すことによって作品世界を壊してしまうことが多いから「顔出さなきゃいいのに」と思う。
どうしても必要であれば、昔の文豪のように、「夏目漱石と言えば頬杖!」「芥川龍之介といえば顎に手!」「正岡子規といえば横顔!」のように、その肖像写真自体が作品にでもなるような渾身の一枚しか使わないくらいの気概を持って欲しいと思うのだがどうだろうか。
* * *
【本日のBGM】SMORGUS 「QUESTIONARY」
友人からのお薦め。こういうゴリゴリしたのも好きです。
2006年04月04日
化粧がはげる音がする
先日の記事では、お客様のメールやブログを通じて、ネット社会の情報の速さや、公開性を身に染みて体験した恐怖・・・ではなく、すばらしさについて書いたのだが、今日は公開は公開にしても自ら公開する弊害についての話。
* * *
というのも、またお客様から
「考えてみるとチイネさんみたいに女性で顔をオープンにされている方ってほんと珍しいのですよ。」
とメールをいただいたのだ。
確かに、これだけ個人情報保護の重要さが叫ばれている世の中で、私は顔はおろか本名、住所、電話番号まで公開してしまっている。
個人情報保護法も私に関しては適用外になるのではないかと思うくらいだ。
別に私が露出狂だったり、三十路のネットアイドルになりたいとかそういうわけではなく、「ネットショップはお客様に安心感と親近感を与えるために自分を出しましょう」というのが定石なのでやむなくやっているわけである。
このブログにしてもそうで、本来はメールマガジンなどを発行して店長の人柄を知ってもらいつつ、販売促進するのが定石なのだが、私自身どうもメルマガが苦手なためか、「読みたい人だけ読んでくれればいいや〜」とブログという形にしてしまっているのである。
* * *
しかし、サイトにアクセスすればいつでも読めるブログには困ったことがある。それは読まれたくない人にも読まれるのだ。
特に新しく仕事で関わった人の場合にそうなのだが、名刺交換をするとちゃんとサイトをご覧になるらしく、次に会ったとき「菅原さん、サイト見ましたよ」などと言ってくれる。
そこまでなら、私もおすまし仕事モードで「あ、どうもありがとうございます」と笑顔で言えるのだが、さらに
「ブログおもしろいですね」などと言われると、
(しまった〜見つけられたか・・)と内心忸怩たる思いで「ははは・・・」と苦笑いするしかない。
私のくだらない話をはじめ、「野に松茸」(←3月27日のブログタイトル)など、おじさんの下ネタ程度の発想を初対面の、しかも仕事関係の方に知られてしまうのは裸同然の恥ずかしさと言っても過言ではない。
おすまし顔の化粧がパリパリと剥げ落ちる音が聞える気がする。
ブログによって頭の中まで公開しまう私に、もはやプライバシーなどはないのかもしれない。
【CICADA】http://www.cicada.jp/
* * *
というのも、またお客様から
「考えてみるとチイネさんみたいに女性で顔をオープンにされている方ってほんと珍しいのですよ。」
とメールをいただいたのだ。
確かに、これだけ個人情報保護の重要さが叫ばれている世の中で、私は顔はおろか本名、住所、電話番号まで公開してしまっている。
個人情報保護法も私に関しては適用外になるのではないかと思うくらいだ。
別に私が露出狂だったり、三十路のネットアイドルになりたいとかそういうわけではなく、「ネットショップはお客様に安心感と親近感を与えるために自分を出しましょう」というのが定石なのでやむなくやっているわけである。
このブログにしてもそうで、本来はメールマガジンなどを発行して店長の人柄を知ってもらいつつ、販売促進するのが定石なのだが、私自身どうもメルマガが苦手なためか、「読みたい人だけ読んでくれればいいや〜」とブログという形にしてしまっているのである。
* * *
しかし、サイトにアクセスすればいつでも読めるブログには困ったことがある。それは読まれたくない人にも読まれるのだ。
特に新しく仕事で関わった人の場合にそうなのだが、名刺交換をするとちゃんとサイトをご覧になるらしく、次に会ったとき「菅原さん、サイト見ましたよ」などと言ってくれる。
そこまでなら、私もおすまし仕事モードで「あ、どうもありがとうございます」と笑顔で言えるのだが、さらに
「ブログおもしろいですね」などと言われると、
(しまった〜見つけられたか・・)と内心忸怩たる思いで「ははは・・・」と苦笑いするしかない。
私のくだらない話をはじめ、「野に松茸」(←3月27日のブログタイトル)など、おじさんの下ネタ程度の発想を初対面の、しかも仕事関係の方に知られてしまうのは裸同然の恥ずかしさと言っても過言ではない。
おすまし顔の化粧がパリパリと剥げ落ちる音が聞える気がする。
ブログによって頭の中まで公開しまう私に、もはやプライバシーなどはないのかもしれない。
【CICADA】http://www.cicada.jp/
2006年04月02日
これがネット社会か
先月のことになるが、当オンラインショップでお買い物していただいたお客様から
「私はよくブログを読んでるのですが、偶然CICADAでミラーをお買い物した方のブログを見つけました〜 。ただそれだけなのですが、なんかうれしくなったので」
というメールをいただいた。
心温まるメールであるはずなのに、さっと脳裏に浮かんだのは「もしや悪口!?それともまたしてもセクハラか!?(←12月17日の記事に詳細あり)」とマイナス発想である。つくづく小心者らしい。
その月にミラーを買った方は数人いらっしゃったので、誰だろう?と思っていたところ、翌日「ブログに書きました」という旨、その方から連絡をいただいた。
それで「実はほかのお客様から、昨日教えていただいたんですよ」と返信したら、とても驚いている様子で「記録として書いているつもりの、お恥ずかしいブログを何方かがご覧になっているということを肌で感じたような気がします。」と感想を述べられていた。
(その記事はこちら→http://ameblo.jp/rosypot/entry-10009168287.html
う〜む、確かにすごいことだ。
私の子供の頃には考えられないくらいの情報の早さとともに、いいことも悪いこともすぐに知れ渡ってしまうという公開性。
特にブログが普及してからはなおさらだ。
もう悪いことはできない・・・ではなく。
これがネット社会なのだなぁとつくづく感じたのである。
そういえば、以前たまたま見つけたブログにも当店のことが書かれていた。
それは、商品のことではなく、毎月更新している「デスクトップカレンダー」のことであった。
それはデスクトップカレンダーをダウンロードできるお薦めサイトを紹介している記事なのだが、そこに当店も掲載されていたのだ。
(その記事はこちら→http://www.webcitron.com/blog/sblog/eid137.html)
それまで「毎月デザインを更新しているものの、果たして意味はあるのだろうか・・・」といささか疑問に感じていたところだったので、ちゃんと見る人は見るんだな〜と嬉しくなったものである。
* * *
そんなデスクトップカレンダー4月も更新いたしました。
【CICADA特製デスクトップカレンダー】http://www.cicada.jp/
(右下の方にあります)
「私はよくブログを読んでるのですが、偶然CICADAでミラーをお買い物した方のブログを見つけました〜 。ただそれだけなのですが、なんかうれしくなったので」
というメールをいただいた。
心温まるメールであるはずなのに、さっと脳裏に浮かんだのは「もしや悪口!?それともまたしてもセクハラか!?(←12月17日の記事に詳細あり)」とマイナス発想である。つくづく小心者らしい。
その月にミラーを買った方は数人いらっしゃったので、誰だろう?と思っていたところ、翌日「ブログに書きました」という旨、その方から連絡をいただいた。
それで「実はほかのお客様から、昨日教えていただいたんですよ」と返信したら、とても驚いている様子で「記録として書いているつもりの、お恥ずかしいブログを何方かがご覧になっているということを肌で感じたような気がします。」と感想を述べられていた。
(その記事はこちら→http://ameblo.jp/rosypot/entry-10009168287.html
う〜む、確かにすごいことだ。
私の子供の頃には考えられないくらいの情報の早さとともに、いいことも悪いこともすぐに知れ渡ってしまうという公開性。
特にブログが普及してからはなおさらだ。
もう悪いことはできない・・・ではなく。
これがネット社会なのだなぁとつくづく感じたのである。
そういえば、以前たまたま見つけたブログにも当店のことが書かれていた。
それは、商品のことではなく、毎月更新している「デスクトップカレンダー」のことであった。
それはデスクトップカレンダーをダウンロードできるお薦めサイトを紹介している記事なのだが、そこに当店も掲載されていたのだ。
(その記事はこちら→http://www.webcitron.com/blog/sblog/eid137.html)
それまで「毎月デザインを更新しているものの、果たして意味はあるのだろうか・・・」といささか疑問に感じていたところだったので、ちゃんと見る人は見るんだな〜と嬉しくなったものである。
* * *
そんなデスクトップカレンダー4月も更新いたしました。
【CICADA特製デスクトップカレンダー】http://www.cicada.jp/
(右下の方にあります)
2006年03月31日
美人も部屋も照明次第
先日「3月27日、河北新報(東北地方の新聞です)夕刊「住まいのセンスアップ術」というコーナーに私が照明コンサルタントとして受けた取材記事が載ってます。
東北地方の方、良かったら見てくださいね〜〜。」
などとお知らせしたものの、見れる方はごく少数なのでこのブログで紹介。
とはいえ、紙面の半分ほどを占めてる記事なので全部紹介すると長くなりすぎるためポイントのみ言うと、要するに
一つの部屋に複数の照明器具を使おう!
ということ。
新しい部屋に引っ越したりすると、「インテリアは何にしよう〜」を新生活にわくわくと思いを馳せつつ考えると思うのだが、その興味のほとんどが、テーブルやソファなどの家具に向けられていて、照明器具なんか「あ、照明ないと暗くて生活できないじゃん」とふと気付き、家電量販店あたりでとりあえず無難そうなのをみつくろって天井に取りつけ「これで夜も生活できる」とひと安心して終ってしまう方も多いと思う。
しかし、断言しよう!それだけでは夜、絶対に部屋がビンボーくさく見えるはずだ。なぜなら家電量販店で売ってて「無難なやつ」といえばほとんどが蛍光灯だからだ。
蛍光灯の光を上から照らすだけでは部屋が「のぺっ」として、家具の光沢や布の質感がきれいにでないばかりか、下向きの陰ばかりが強調されて、重い印象になりがち。
「いや、うちは白熱灯を使っているぞ」という場合でも、やはり天井の照明だけでは平板な印象になる。
そこで、おすすめしたいのが、フロアスタンドや床に置く照明などをプラスしてみる方法。そして、天井の照明を消してそれらをつけてみれば部屋の印象は全く変わる。
女性がきれいに見えるのも照明マジックという話は以前の記事
「デートで使える美女灯り講座」で書いたが、部屋だって同じ。
平板な顔の女性でも、照明マジックによって立体的に美しく見えるように、どんなにいまいちなインテリアの部屋だって照明が変われば立体的に美しく見える。
また、ホコリだらけの汚い部分には光を当てなければいいだけの話だ。(女性の顔の場合は逆に強い光でとばせばアラは見えなくなる。)
安いものだと数千円で手に入る照明器具。
それで部屋の雰囲気が全く変わるんだから使わない手はない!
という記事でした。(いや、だいぶ脚色というか捏造されてるか・・・)

* * *
ちなみに同じようなネタで東北電力のホームページに記事書きました。
こちらも参考にしてね!
【東北電力 「素敵快適生活」】
http://www.tohoku-epco.co.jp/dprivate/special/ls/vol01_akari.html
東北地方の方、良かったら見てくださいね〜〜。」
などとお知らせしたものの、見れる方はごく少数なのでこのブログで紹介。
とはいえ、紙面の半分ほどを占めてる記事なので全部紹介すると長くなりすぎるためポイントのみ言うと、要するに
一つの部屋に複数の照明器具を使おう!
ということ。
新しい部屋に引っ越したりすると、「インテリアは何にしよう〜」を新生活にわくわくと思いを馳せつつ考えると思うのだが、その興味のほとんどが、テーブルやソファなどの家具に向けられていて、照明器具なんか「あ、照明ないと暗くて生活できないじゃん」とふと気付き、家電量販店あたりでとりあえず無難そうなのをみつくろって天井に取りつけ「これで夜も生活できる」とひと安心して終ってしまう方も多いと思う。
しかし、断言しよう!それだけでは夜、絶対に部屋がビンボーくさく見えるはずだ。なぜなら家電量販店で売ってて「無難なやつ」といえばほとんどが蛍光灯だからだ。
蛍光灯の光を上から照らすだけでは部屋が「のぺっ」として、家具の光沢や布の質感がきれいにでないばかりか、下向きの陰ばかりが強調されて、重い印象になりがち。
「いや、うちは白熱灯を使っているぞ」という場合でも、やはり天井の照明だけでは平板な印象になる。
そこで、おすすめしたいのが、フロアスタンドや床に置く照明などをプラスしてみる方法。そして、天井の照明を消してそれらをつけてみれば部屋の印象は全く変わる。
女性がきれいに見えるのも照明マジックという話は以前の記事
「デートで使える美女灯り講座」で書いたが、部屋だって同じ。
平板な顔の女性でも、照明マジックによって立体的に美しく見えるように、どんなにいまいちなインテリアの部屋だって照明が変われば立体的に美しく見える。
また、ホコリだらけの汚い部分には光を当てなければいいだけの話だ。(女性の顔の場合は逆に強い光でとばせばアラは見えなくなる。)
安いものだと数千円で手に入る照明器具。
それで部屋の雰囲気が全く変わるんだから使わない手はない!
という記事でした。(いや、だいぶ脚色というか捏造されてるか・・・)
* * *
ちなみに同じようなネタで東北電力のホームページに記事書きました。
こちらも参考にしてね!
【東北電力 「素敵快適生活」】
http://www.tohoku-epco.co.jp/dprivate/special/ls/vol01_akari.html
2006年03月27日
野に松茸【齋理屋敷見学・その2】
(ふと気付けば「齋理屋敷見学・その1」から20日以上経ってしまっていた。しかし、何事もなかったかのように「2」へと続く・・・)
* * *
「居宅」内で七代目探しを満喫し、その後も敷地内にいくつかある蔵を見学。
例えば「嫁御の蔵」には女性に関わるものや嫁入り仕度がテーマの展示、「童の蔵」には子供の遊び道具がテーマの展示、などテーマごとの展示がされている。
その中に「住まいの蔵」というのがあり、一階は齋理屋敷の住生活がテーマ、二階は住み込みで働いていた少年店員たちの日々の暮らしがテーマというものであった。
2階にあがると、一面、文字やら絵の落書きが所狭しと書かれている壁には、透明のプラスチック板でカバーされていて、そこに落書きの意味の説明などがあった。
「壁の保護や説明書きのためにプラスチックでカバーされているのか。落書きもすっかり立派な展示物だね。」など思いながら、この部屋の説明書きを読むと
「(この蔵の落書きは)棚卸の記録、生活の諸注意、奉公人の名前、偉くなってやるぞという決心。青少年のプライベート空間です。」
と書いてある。
なるほど〜、昔の人は立身出世の気骨があるね。さすが明治の男だよ。
など感心しつつ続きを読むと
「少々お見苦しいものもございますがどうかご容赦ください。」
ん?「お見苦しいもの」?
さらには
「いくつかは伏せ字とさせていただきました」
で文章は締められていた。
よくみると、プラスチック板のあちらこちらに、グレーで塗りつぶされている箇所がある。

不自然なグレーが・・
壁とプラスチック板の間には数センチの空きがあったので、その隙間からグレーに塗りつぶしされた後ろの壁を覗き込むと、そこに書いてあったのは・・
そう・・行き場のない青春時代の欲望が筆をとらせてしまったというか・・
若さゆえの妄想を、壁というキャンバスにぶつけてみたというか・・
う〜む、一生懸命きれいに表現しようと努力してみたが、やはり無理か。
まあ、便所の落書きを想像してもらえればいいだろう。
「気骨ある明治の男」のイメージは一瞬にして崩れ去った。
* * *
これと似た感覚を以前にも抱いたことがある。
それは某美術雑誌に載っていたもので、法隆寺改修工事の際、屋根裏などから発見された当時の落書きだ。
法隆寺の屋根裏に落書きができた人といえば、宮大工だろう。
法隆寺の宮大工・・・鑿を一振りするごとに祈りを込め、カンナで板を削るたびに己の煩悩をそぎ落とし・・・そんなストイックな人が書く落書きといえば、心をこめて描いた仏の姿に違いない、と想像していた。
しかし、そこに描かれてあったのは女性器の記号的表現。
別に「豊穣への祈りを込めた」とかそんな雰囲気ではなく、便所の落書きによく見られる程度の猥雑さであった。(あの記号は約2000年前からほとんど変化ないらしい)
バーカ!
↑
おまえだ! ←おまえもだよ!
電話ください。待ってま〜す。
○○○―×××
なんていう便所の落書きの中に、ひっそりと法隆寺宮大工が落書きを書き込んだとしてもちっとも違和感はないだろう。
その他書かれていたのに、人の輪郭だけがいくつも書かれたものがあったのだが、これも別に飛鳥文化の香りなどみじんもなく、やけに漫画的で、そういえば私も子供時代こんなのを書いてよな〜と懐かしくなるようなものだった。
「ストイックな法隆寺の宮大工」というイメージがガラガラと崩れたが、「人ってくだらない所はいつの世も変わらないものなんだな〜」と親近感も覚えたのである。
* * *
(参考までに、グレーで塗りつぶされていなかった作品をひとつ紹介。
タイトルをつけるとすれば「野に松茸」といったところか。風流なり?)

こんな落書きが立派に展示され、大勢の人の目に晒されてるのは、描いた本人どんな気持ちだろうか?
* * *
【お知らせ】
本日、3月27日、河北新報(東北地方の新聞です)夕刊「住まいのセンスアップ術」というコーナーに私が照明コンサルタントとして受けた取材記事が載ってます。
東北地方の方、良かったら見てくださいね〜〜。
* * *
「居宅」内で七代目探しを満喫し、その後も敷地内にいくつかある蔵を見学。
例えば「嫁御の蔵」には女性に関わるものや嫁入り仕度がテーマの展示、「童の蔵」には子供の遊び道具がテーマの展示、などテーマごとの展示がされている。
その中に「住まいの蔵」というのがあり、一階は齋理屋敷の住生活がテーマ、二階は住み込みで働いていた少年店員たちの日々の暮らしがテーマというものであった。
2階にあがると、一面、文字やら絵の落書きが所狭しと書かれている壁には、透明のプラスチック板でカバーされていて、そこに落書きの意味の説明などがあった。
「壁の保護や説明書きのためにプラスチックでカバーされているのか。落書きもすっかり立派な展示物だね。」など思いながら、この部屋の説明書きを読むと
「(この蔵の落書きは)棚卸の記録、生活の諸注意、奉公人の名前、偉くなってやるぞという決心。青少年のプライベート空間です。」
と書いてある。
なるほど〜、昔の人は立身出世の気骨があるね。さすが明治の男だよ。
など感心しつつ続きを読むと
「少々お見苦しいものもございますがどうかご容赦ください。」
ん?「お見苦しいもの」?
さらには
「いくつかは伏せ字とさせていただきました」
で文章は締められていた。
よくみると、プラスチック板のあちらこちらに、グレーで塗りつぶされている箇所がある。

不自然なグレーが・・
壁とプラスチック板の間には数センチの空きがあったので、その隙間からグレーに塗りつぶしされた後ろの壁を覗き込むと、そこに書いてあったのは・・
そう・・行き場のない青春時代の欲望が筆をとらせてしまったというか・・
若さゆえの妄想を、壁というキャンバスにぶつけてみたというか・・
う〜む、一生懸命きれいに表現しようと努力してみたが、やはり無理か。
まあ、便所の落書きを想像してもらえればいいだろう。
「気骨ある明治の男」のイメージは一瞬にして崩れ去った。
* * *
これと似た感覚を以前にも抱いたことがある。
それは某美術雑誌に載っていたもので、法隆寺改修工事の際、屋根裏などから発見された当時の落書きだ。
法隆寺の屋根裏に落書きができた人といえば、宮大工だろう。
法隆寺の宮大工・・・鑿を一振りするごとに祈りを込め、カンナで板を削るたびに己の煩悩をそぎ落とし・・・そんなストイックな人が書く落書きといえば、心をこめて描いた仏の姿に違いない、と想像していた。
しかし、そこに描かれてあったのは女性器の記号的表現。
別に「豊穣への祈りを込めた」とかそんな雰囲気ではなく、便所の落書きによく見られる程度の猥雑さであった。(あの記号は約2000年前からほとんど変化ないらしい)
バーカ!
↑
おまえだ! ←おまえもだよ!
電話ください。待ってま〜す。
○○○―×××
なんていう便所の落書きの中に、ひっそりと法隆寺宮大工が落書きを書き込んだとしてもちっとも違和感はないだろう。
その他書かれていたのに、人の輪郭だけがいくつも書かれたものがあったのだが、これも別に飛鳥文化の香りなどみじんもなく、やけに漫画的で、そういえば私も子供時代こんなのを書いてよな〜と懐かしくなるようなものだった。
「ストイックな法隆寺の宮大工」というイメージがガラガラと崩れたが、「人ってくだらない所はいつの世も変わらないものなんだな〜」と親近感も覚えたのである。
* * *
(参考までに、グレーで塗りつぶされていなかった作品をひとつ紹介。
タイトルをつけるとすれば「野に松茸」といったところか。風流なり?)

こんな落書きが立派に展示され、大勢の人の目に晒されてるのは、描いた本人どんな気持ちだろうか?
* * *
【お知らせ】
本日、3月27日、河北新報(東北地方の新聞です)夕刊「住まいのセンスアップ術」というコーナーに私が照明コンサルタントとして受けた取材記事が載ってます。
東北地方の方、良かったら見てくださいね〜〜。
2006年03月02日
フクスケ人間【齋理屋敷見学・その1】
(先日のブログの続き)
こたつ舟を降りてから15分くらい歩いただろうか。
ほとんどシャッター街と化したさびれた雰囲気の商店街の中にそれはあった。
それは丸森唯一の観光スポットと言っていいかもしれない「齋理屋敷」だ。
江戸時代から昭和にかけて七代続いた豪商の屋敷らしい。
白い土塀の蔵の横にはのれんがかかり、いかにも「商家」といった風情の建物ではあるが、道路に面している部分はそんなに間口も広いわけではないので、まあ30分もあれば見終わってしまうだろうと思っていた。
しかし、それは甘かったことが後でわかった。
結局、2時間半も満喫してしまったのだから・・・
* * *
齋理屋敷はうなぎの寝床のように奥に長く、敷地内には蔵など数棟の建物があり、それぞれに展示がされている。
その中で一番大きな建物、「居宅」内の展示を見ていると、
友人が「やっぱり七代目だ〜、すごく愛おしい!」と言い出した。
それまで説明書きをざっと流し見していた私だが、改めて良く読むと
「六代目が○○した」や「七代目が○○した」など、どの当主の行動なのかがわかる説明になっていて、中でも「七代目」に関する記事が多く、しかもそのキャラが愛すべき人だった。
例えば
「七代目ダンポ(注:当主のこと)の雷嫌いは有名。
雷が鳴りそうになると蚊帳を吊って、こたつの上に線香を立てて、頭を突っ込んでふるえていました」
と、これだけでもまぬけな光景だが、
「避雷針を立てたのもそのせいで、妹が嫁いだ大学の先生のアドバイスで、一番電気を通すという金を先端に取り付けました。
夏になるとこの避雷針にビカビカと雷が落ちてくるので、近所の子供たちは大変怖かったそうです。ダンポさん、避雷針の意味を少々誤解していたのではないでしょうか」
と説明書きからして(苦笑)のニュアンスで書かれているように、
嫌いな雷をわざわざ避雷針で呼び寄せて我が家に落とすというまぬけさ。
また女中さんが「実家の方で火事があった」と知らせを聞き、不安で泣いていると
七代目はなにやら呪文をとなえて空中に字を書き
「今、まじないをしたから、もう泣くことはない」と大真面目に語ったり、
(ちなみに女中さんの実家は助かったらしいが、このまじないのせいかは定かではない)
他にも「化け物」が大好きで「狐火が出た」と聞けば寝ている女中さんを起して走って見に行ってしまったりと、確かに「愛おしい」キャラクターなのだ。
ほかにも七代目に関するおもしろ記事は多く、七代目探しだけでも楽しく過ごせる。
ちなみに「七代目」と書いてなくても、昭和に入ってからの記述ならば七代目なのでこの点にも注目することをお薦めする。
* * *
あと、明治時代のことなので七代目ではないのだが、私がおもしろかったのは
「本物のフクスケさんがいた」という記述。
フクスケさんといえば、店先に置いてある縁起物のフクスケ人形を思い出すが、
ここには人形ではなく、人間のフクスケがいたらしい。
「頭が人より大きくて背の低い少年が紫の振袖を着せられて、
なんの仕事をさせられるわけでもなく店先に座っていました」
だそうだ。
「頭が大きくて背の低い」から選ばれたというフクスケ役の少年は、果たしてどんな気持ちで座っていたのだろうか・・・
(見学は続く)
【齋理屋敷】http://www.marumori.net/sairi.htm
こたつ舟を降りてから15分くらい歩いただろうか。
ほとんどシャッター街と化したさびれた雰囲気の商店街の中にそれはあった。
それは丸森唯一の観光スポットと言っていいかもしれない「齋理屋敷」だ。
江戸時代から昭和にかけて七代続いた豪商の屋敷らしい。
白い土塀の蔵の横にはのれんがかかり、いかにも「商家」といった風情の建物ではあるが、道路に面している部分はそんなに間口も広いわけではないので、まあ30分もあれば見終わってしまうだろうと思っていた。
しかし、それは甘かったことが後でわかった。
結局、2時間半も満喫してしまったのだから・・・
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齋理屋敷はうなぎの寝床のように奥に長く、敷地内には蔵など数棟の建物があり、それぞれに展示がされている。
その中で一番大きな建物、「居宅」内の展示を見ていると、
友人が「やっぱり七代目だ〜、すごく愛おしい!」と言い出した。
それまで説明書きをざっと流し見していた私だが、改めて良く読むと
「六代目が○○した」や「七代目が○○した」など、どの当主の行動なのかがわかる説明になっていて、中でも「七代目」に関する記事が多く、しかもそのキャラが愛すべき人だった。
例えば
「七代目ダンポ(注:当主のこと)の雷嫌いは有名。
雷が鳴りそうになると蚊帳を吊って、こたつの上に線香を立てて、頭を突っ込んでふるえていました」
と、これだけでもまぬけな光景だが、
「避雷針を立てたのもそのせいで、妹が嫁いだ大学の先生のアドバイスで、一番電気を通すという金を先端に取り付けました。
夏になるとこの避雷針にビカビカと雷が落ちてくるので、近所の子供たちは大変怖かったそうです。ダンポさん、避雷針の意味を少々誤解していたのではないでしょうか」
と説明書きからして(苦笑)のニュアンスで書かれているように、
嫌いな雷をわざわざ避雷針で呼び寄せて我が家に落とすというまぬけさ。
また女中さんが「実家の方で火事があった」と知らせを聞き、不安で泣いていると
七代目はなにやら呪文をとなえて空中に字を書き
「今、まじないをしたから、もう泣くことはない」と大真面目に語ったり、
(ちなみに女中さんの実家は助かったらしいが、このまじないのせいかは定かではない)
他にも「化け物」が大好きで「狐火が出た」と聞けば寝ている女中さんを起して走って見に行ってしまったりと、確かに「愛おしい」キャラクターなのだ。
ほかにも七代目に関するおもしろ記事は多く、七代目探しだけでも楽しく過ごせる。
ちなみに「七代目」と書いてなくても、昭和に入ってからの記述ならば七代目なのでこの点にも注目することをお薦めする。
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あと、明治時代のことなので七代目ではないのだが、私がおもしろかったのは
「本物のフクスケさんがいた」という記述。
フクスケさんといえば、店先に置いてある縁起物のフクスケ人形を思い出すが、
ここには人形ではなく、人間のフクスケがいたらしい。
「頭が人より大きくて背の低い少年が紫の振袖を着せられて、
なんの仕事をさせられるわけでもなく店先に座っていました」
だそうだ。
「頭が大きくて背の低い」から選ばれたというフクスケ役の少年は、果たしてどんな気持ちで座っていたのだろうか・・・
(見学は続く)
【齋理屋敷】http://www.marumori.net/sairi.htm




